1930. 3.12
[昭和5年] |
米・冥王星発見
[クライド・トンボー]
(『プルート』と命名,⇒ プルトニウム,ローウェル天文台) |
| 1930 |
独・貫通力の強い未知の放射線発見
[ワルサー・ボーテ/ハーバード・ベッカー]
(α線をベリリウム箔に照射,鉛ブロックを貫通する放射線発見,ベリリウム線と呼ぶ,1954 ボーテ ノーベル賞授賞) |
1932. 1.18
[昭和7年] |
仏・放射線による陽子の放出を報告
[フレデリック/イレーヌ・ジョリオ・キュリー夫妻]
(ポロニウムのα線をベリリウムに照射,発生するベリリウム線をパラフィンに照射,陽子の放出を霧箱で確認,ベリリウム線はγ線と考察しコンプトン散乱と解釈,中性子発見に至らず) |
| 1932. 2.27 |
英・中性子発見
[ジェームス・チャドウィック]
(ジョリオ・キュリー夫妻の論文より,リーゼ・マイトナーからポロニウムを分けてもらう,ベリリウム線を窒素ガスにも照射,ベリリウム線はγ線ではなく陽子に近い質量の中性粒子,師ラザフォードのベーカー講演の実証,キャヴェンディシュ研究所,1935
ノーベル賞受賞) |
| 1932. 2 |
米・サイクロトロン完成
[アーネスト・ローレンス]
(27.5インチ,100万電子ボルト,1939 ノーベル賞受賞) |
| 1932. 4 |
英・元素変換成功
[ジョン・コッククロトフ/アーネスト・ウォールトン]
(ガモフのトンネル理論に基づく,高速陽子をリチウムに照射してヘリウムに変換,キャヴェンディシュ研究所,1951 ノーベル賞受賞) |
| 1932. 8. 2 |
米・陽電子発見
[カール・アンダーソン( 26才)/セス・ネッダマイヤー]
(宇宙線のシャワーを霧箱で観測,1936 アンダーソン ノーベル賞受賞) |
| 1932 |
米・重水素発見
[ハロルド・ユーリー]
(重水,水をあきれるほど蒸留する,1934 ノーベル賞受賞) |
| 1932.12 |
アルバート・アインシュタイン ベルギーへ脱出 |
1933. 1.30
[昭和8年] |
独・アドルフ・ヒトラー ドイツ総統に就任 |
| 1933. 4. 6 |
レオ・シラード ベルリンを脱出,ウィーンへ |
| 1933. 4. 7 |
独・公務員更新法(反ユダヤ人法)公布 |
| 1933. 5 |
レオ・シラード イギリスへ |
| 1933. 9. 9 |
アルバート・アインシュタイン イギリスへ |
| 1933. 9.12 |
英・中性子による連鎖反応着想
[レオ・シラード] ( 35才)
(当日のタイムズ紙がラザフォードの原子遷移に関する講演を報じる,ロンドン・サザンプトン通りを散歩中に着想,原子爆弾への発想,1934.7
特許を取得し 1936.2 イギリス海軍へ秘密扱いで譲渡) |
| 1933.10. 7 |
アルバート・アインシュタイン アメリカへ亡命 |
| 1933.10 |
第 7回ソルベー会議開催
[マリー・キュリー/ラザフォード/ボーア/リーゼ・マイトナー/ハイゼンベルク/パウリ/フェルミ/チャドウィック/ガモフ/フレデリック/イレーヌ・ジョリオ・キュリー/ブラケット/パイエルス]
(ブリュッセル,陽子の構造について) |
| 1933.10 |
ガモフ ソ連を脱出,ソルベー会議後アメリカへ亡命 |
| 1933.12 |
伊・弱い相互作用の導入
[エンリコ・フェルミ]
(β崩壊理論,1938 ノーベル賞授賞) |
| 1933 |
ルドルフ・パイエルス イギリスへ亡命 |
| 1933 |
独・ロケット研究開始
[フォン・ブラウン] |
1934. 1.15
[昭和9年] |
仏・人工放射能発見
[フレデリック/イレーヌ・ジョリオ・キュリー夫妻]
(ポロニウムのα線をアルミニウムに照射し放射性のリンと陽電子を確認,ガイガー計数管を使用,放射能による白血病のマリー・キュリーは二人を祝福,1935
ノーベル賞受賞) |
| 1934. 5.10 |
伊・超ウラン元素の存在を表明
[エンリコ・フェルミ] ( 33才)
(α線の代りにラドンとベリリウムからの中性子を周期表に従って照射し人工放射能を調査,β崩壊による人工放射能,ウランの照射実験より想定)
|
| 1934. 9 |
独・超ウラン元素ではなく核分裂の可能性を提唱
[イーダ・ノーダック]
(特に注目されず,女性化学者) |
| 1934.10.18 |
伊・ウランの中性子照射実験で木のテーブルによる効果を発見
[エドアルド・アマルディ/ブルーノ・ポンテコルボ]
(大理石のテーブル上での実験とのデータ差より,フェルミ門下) |
| 1934.10.22 |
伊・減速された中性子による強い放射能発見
[エンリコ・フェルミ]
(ウランの中性子照射実験,パラフィンの障壁による効果,遅い中性子の方が捕獲されやすい,池の水による減速効果も確認) |
| 1934 |
英・水素の核融合発見
[マーク・オリファント/パウル・ハルテック]
(キャヴェンディシュ研究所,ラザフォード門下,濃縮した重水素を加速した重水素で叩く) |
| 1934 |
ソ・小型サイクロトロン稼動
[イーゴリ・クルチャトフ]
(アメリカ以外で稼動した最初のサイクロトロン) |
| 1934.12 |
ソ・大粛清始る
(1941.6 までに 1984万人逮捕,700万人銃殺,スターリンの野望) |
1935. 2
[昭和10年] |
ハンス・ベーテ アメリカへ亡命 |
| 1935. 8 |
エドワード・テラー アメリカへ亡命 |
| 1935 |
ユージン・ウィグナー/フォン・ノイマン アメリカへ亡命 |
| 1935 |
日・中間子理論発表
[湯川秀樹] ( 27才)
(素粒子の相互作用について,π中間子を予想,1947 セシル・パウエルが宇宙線の中から発見,1949 ノーベル賞授賞) |
1936. 1.27
[昭和11年] |
嗹馬・原子核の液滴モデル発表
[ニールス・ボーア]
(『中性子捕獲と核の構造について』,原子核は単一の粒子ではなく陽子と中性子からなる) |
| 1936 |
英・水素をヘリウムに変換すると 1%の質量がエネルギーとして解放されると講演
[フランシス・アストン]
(E=mc2 に言及,コップ一杯の水はクイーン・メリー号を全速力で大西洋を往復させることが出来る) |
1937. 4.26
[昭和12年] |
独・ゲルニカ無差別爆撃
(ドイツ空軍がスペイン・フランコ政権に荷担,ピカソの抗議絵画) |
| 1937 |
米・ 60インチ・サイクロトロンを計画
[アーネスト・ローレンス]
(220トンの電磁石,放射線医療機器用として民間の寄付を集める) |
1938. 3.13
[昭和13年] |
独・オーストリア併合 |
| 1938. 7.14 |
伊・人種法発令(ユダヤ人の公職追放) |
| 1938. 7.17 |
リーゼ・マイトナー ドイツ脱出,コペンハーゲン/ストックホルムへ
(期限切れのパスポートでからくも越境,ボーアの計らい) |
| 1938. 8 |
エミリオ・セグレ アメリカへ亡命
(パレルモへの帰路切符は不要となるとシラードに言われる,そのままアメリカに留まる) |
| 1938. 9 |
仏・ウランに中性子を照射した時の半減期 3.5Hの放射能はランタンと発表
[イレーヌ・キュリー/パヴェル・サビッチ] |
| 1938 |
米・ウラン235 とウラン238 の含有比率を計測
[アルフレッド・ニーア]
(1: 139,0.7%,デンプスターの質量分析器を使用) |
| 1938 |
独・アイソトープ分離装置考案
[クラウス・クルジウス/G・ディッケル]
(クルジウス管,気体熱拡散法,垂直二重円筒の内外温度差を利用) |
| 1938.12.19 |
独・ウランの核分裂確認
[オットー・ハーン( 59才)/フリッツ・シュトラスマン]
(ウランの中性子照射実験でバリウムを化学的に発見,共同研究者であったリーゼ・マイトナーへ手紙を送り意見を求める,カイザー・ウィルヘルム研究所,『バリウムファンタジー』の幕開け,1944
ノーベル賞受賞) |
1939. 1. 2
[昭和14年] |
エンリコ・フェルミ ノーベル賞受賞後アメリカへ亡命
(妻ローラがユダヤ人,ボーアの計らい) |
| 1939. 1. 6 |
独・ウランの核分裂理論完成
[リーゼ・マイトナー/オットー・フリッシュ]
(液滴モデルで説明,相対性理論で計算,翌朝ボーアが論文原稿のコピーをアメリカへ持参,陽子質量の 1/5 がエネルギーとして解放される) |
| 1939. 1.13 |
嗹馬・ウランの核分裂を霧箱で確認
[オットー・フリッシュ]
(核分裂を物理的に確認,オシロスコープを使用,パラフィンの効果も確認,一連の実験でトリウムの核分裂も発見,トリウムは高速中性子で分裂することを発見,ニールス・ボーア研究所) |
| 1939. 1.14 |
嗹馬・『核分裂』(フィッション)と命名
[オットー・フリッシュ]
(核分裂実験を見学のアメリカの生物学者ウィリアム・アーノルドからバクテリアの細胞分裂をバイナリー・フィッションと呼ぶことを聞く) |
| 1939. 1.16 |
ニールス・ボーア ニューヨーク着
(ボーアはオットー・フリッシュの論文が公表されるまで核分裂の発見を発表しないつもりであったが同船のレオン・ローゼンフェルトが列車の中でジョン・ホイラーに核分裂のニュースを話す,同日ジョン・ホイラーはプリンストン大物理学科のジャーナル・クラブにてウランの核分裂を紹介) |
| 1939. 1.17 |
嗹馬・ウランの核分裂理論と実験報告を投稿
[オットー・フリッシュ] |
| 1939. 1.25 |
米・ウランの核分裂を霧箱で確認
[ハーバート・アンダーソン]
(サイクロトロンで重陽子を加速して水素に照射し中性子を発生,オシロスコープで確認,フェルミ/ダニング門下,コロンビア大,ローマでのフェルミの実験ではα粒子を遮断するためのアルミ箔に妨げられて発見出来なかった) |
| 1939. 1.26 |
仏・ウランの核分裂確認
[ジョリオ・キュリー夫妻]
(分裂による2次中性子の存在を求めたが確認出来なかった) |
| 1939. 1.26 |
米・第 5回ワシントン会議開催(アメリカ物理学会)
[ボーア/フェルミ/オットー・シュテルン/ハロルド・ユーリー/グレゴリー・ブライト/ラビ/ガモフ/テラー/メール・チューヴ]
(ウランの核分裂についてボーア/フェルミが報告,核分裂をスプリッターズと呼ぶ) |
| 1939. 1.28 |
米・ウランの核分裂を確認
[リチャード・ロバーツ/ロバート・マイヤー]
(ヴァン・デ・グラーフ発電機で重陽子を加速してリチュームを照射し発生する中性子でウランを照射,トリウムの核分裂も発見,メール・チューヴ門下,ワシントン大,同夜ワシントン会議の出席者に対し核分裂のデモンストレーションが行われる,その後の一連の実験で遅延中性子を発見,原子炉制御の可能性の基となる) |
| 1939. 1.30 |
米・ウランの核分裂を確認
[フィリップ・アーベルソン]
(散髪中のルイス・アルヴァレは散髪を中断して核分裂のニュースをアーベルソンに伝える,ウランのもう一つの分裂様式 テルル 52+ジルコニウム
40 を発見,バークレー校,アルヴァレはオッペンハイマーに報告,核分裂はあり得ないと断言したオッペンハイマーは実験を見て中性子の放出を予想し爆弾や発電を予見した) |
| 1939. 2.7 |
米・ウラン235 が低速中性子で分裂すると考察
[ニールス・ボーア/ジョン・ホイラー]
(公表された唯一の核分裂理論,ワシントン大のヴァン・デ・グラーフ発電機によるエネルギーレベルの異なる中性子によるウランの分裂断面積データより考察,ウラン238
は共鳴吸収を起こす) |
| 1939. 3.17 |
米・核エネルギーの軍事利用会議開催
[ジョージ・ペグラム/エンリコ・フェルミ]
(科学者による海軍代表への初の働き掛け,原爆の可能性について発言,フェルミは遅い中性子による制御された反応,速い中性子による爆発,星の反応等を講義) |
| 1939. 3 |
仏・ウランの核分裂により放出される中性子は 1個以上であることを確認
[ジョリオ・キュリー/ハンス・ハルバン/レフ・コワルスキー] |
| 1939. 3 |
米・ウランの核分裂により放出される中性子は約 2個であることを確認
[レオ・シラード/ウォルター・ジン]
(相互連絡なし,1週間遅れ) |
| 1939. 4.22 |
仏・ウラン235 の核分裂による 2次中性子に関する第 2報を投稿
[フレデリック・ジョリオ/ハンス・ハルバン/ルー・コワルスキー]
(1回の分裂あたり 3.5個の中性子が放出される,後に 2.6個に訂正) |
| 1939. 4.29 |
独・研究計画立案,ウランとラジウムの輸出を禁止
[クルト・ディープナー]
(ベルリンでの秘密会議,『ハルテック書簡』が爆発物を予見) |
| 1939. 4 |
米・ジョン・ダニング ウラン235 の分離をアルフレッド・ニーアに依頼 |
| 1939. 5 |
ニールス・ボーア コペンハーゲンへ帰還
(亡命科学者の支援のため) |
| 1939. 7. 3 |
米・原子炉の構想
[エンリコ・フェルミ/レオ・シラード]
(天然ウランによる核反応,黒鉛を中性子の減速材に使用,水を減速材とすると重陽子を形成するため効率が悪い,重水は入手困難) |
| 1939. 8. 2 |
米・『アインシュタインの手紙』
[アルバート・アインシュタイン/レオ・シラード]
(シラード/テラー/ウィグナーがアインシュタインに働きかける,ドイツの脅威,天然ウラン爆弾・天然ウラン原子炉の可能性等を執筆,大統領への取次ぎをアレクサンダー・ザクスに依頼,メール・チューブは
3人を『ハンガリー陰謀団』と呼ぶ) |
| 1939 |
オットー・フリッシュ イギリスへ亡命 |
| 1939. 9. 1 |
第 2次世界大戦勃発
(ドイツ軍がポーランドへ侵攻,急降下爆撃機と戦車による電撃戦) |
| 1939. 9. 3 |
イギリス/フランス参戦 |
| 1939. 9.16 |
独・兵器プロジェクトの秘密会議(ベルリン会議)開催
(ニールス・ボーア/ジョン・ホイラーの核分裂論文について論ずる) |
| 1939. 9.26 |
独・第 2回ベルリン会議開催
[クルト・ディープナー/エリック・バッジ/ウェルナー・ハイゼンベルク/ハルテック]
(カイザー・ウィルヘルム研究所を接収,ドイツ爆弾計画のスタート) |
| 1939.10.11 |
米・アレクサンダー・ザクス 『アインシュタインの手紙』をルーズベルト大統領へ取り次ぎ |
| 1939.10.21 |
米・第 1回ウラン諮問委員会開催
[ライマン・ブリッグズ/ザクス/シラード/テラー/ウィグナー]
(まだ不確定な爆弾より原子炉開発に財政的援助) |
| 1939.10 |
米・184インチ・サイクロトロンを提案
[アーネスト・ローレンス]
(100メガ電子ボルト,予定総重量 2000トン) |
| 1939.10 |
英・天然ウラン爆弾の構想表明
[ジェームス・チャドウィック]
(パイエルスの論文に基づく,臨界量 30〜40トン) |
| 1939.12. 6 |
独・ウラン爆弾の可能性をドイツ陸軍省へ報告
[ウェルナー・ハイゼンベルク] |
| 1939.12 |
米・核分裂実験でウラン内に留まる放射性物質の存在を発見
[エドウィン・マクミラン]
(バークレー校) |
| 1939 |
米・星のエネルギー生産機構の解明
[ハンス・ベーテ]
(炭素サイクル,1967 ノーベル賞受賞) |
1940. 2. 1
[昭和15年] |
英・『フリッシュ・パイエルス・メモ』
[オットー・フリッシュ/ルドルフ・パイエルス]
(高濃縮ウラン爆弾の着想,臨界量 600g,クルジウス管による気体熱拡散法を想定,3頁構成,バーミンガム大,マーク・オリファントを通じてヘンリー・ティザードへ提出) |
| 1940. 2.29 |
米・ウラン235 の分離成功
[アルフレッド・ニーア]
(質量分析器,ニッケル箔上に 10億分の 1g,手紙の端ににはりつけてダニングへ郵送,6フッ化ウランでは失敗,4塩化ウラン/4臭化ウランで成功,ミネソタ大) |
| 1940. 2 |
米・ウラン研究予算 6000ドル認可
(フェルミ/シラードの黒鉛の購入費用) |
| 1940. 3. 2 |
米・ウラン235 が低速中性子で分裂すると確認
[ジョン・ダニング]
(ニーアの分離した資料をサイクロトロンで照射,コロンビア大) |
| 1940. 4. 9 |
独・デンマーク占領 |
| 1940. 4.10 |
英・トムソン委員会開設
[ジョージ・トムソン]他
(6フッ化ウランによる小規模分離実験が妥当と同意) |
| 1940. 4.24 |
英・第 2回トムソン委員会開催
(中性子断面積の研究促進,チャドウィックのサイクロトロンを使用) |
| 1940. 4.28 |
米・第 2回ウラン諮問委員会開催
(基礎研究の必要は認められる,ペグラム/フェルミも参加) |
| 1940. 5.10 |
米・ルーズベルト大統領 汎アメリカ科学者会議で協力を呼び掛け
(会議に出席したテラーは兵器研究を決心) |
| 1940. 5.27 |
米・新元素 93を発見
[エドウィン・マクミラン/フィリップ・アーベルソン]
(重陽子をサイクロトロンで加速し酸化ウランを照射,半減期 2.3日の物質は希土類元素,マクミランはネプツニウムと呼ぶ予定,ベルリン・チームはエカ・レと呼ぶ,1951
マクミラン ノーベル賞授賞) |
| 1940. 5.27 |
米・超ウラン元素の核分裂の可能性を提唱
[ルイス・ターナー]
(奇数原子量,94番元素をエカ・オスミウムと呼ぶ) |
| 1940. 6 |
ハンス・ハルバン/ルー・コワルスキー イギリスヘ脱出
(フレデリック・ジョリオはフランスの全重水 180Lと全資料を持たせる,キャベンディッシュ研究所で連鎖反応の実験を行ったが重水
180Lでは不充分であった) |
| 1940. 6.14 |
独・パリ陥落 |
| 1940. 6 |
米・国防調査委員会(NDRC)開催
[ブッシュ/コナント]
(ウラン諮問委員会を吸収,S-1部門,ウラン235 の濃縮法,亡命科学者の排除決定) |
| 1940. 6 |
英・気体拡散法実験
[フランツ・シモン]
(銅製隔壁で水蒸気と2酸化炭素を分離) |
| 1940. 6 |
英・トムソン委員会をモード(MAUD)委員会と改称 |
| 1940. 6 |
ソ・科学アカデミーにウラン委員会開設
[イゴール・クルチャトフ]
(1941.6 ドイツの侵攻により中断) |
| 1940. 9 |
米・日本の外交電文の暗号解読に成功
(97式欧文印字機,パープル,終戦間際の対ソ交渉等は大統領に筒抜け) |
| 1940.10 |
日・鈴木陸軍中佐 爆弾は可能と安田中将に答申
(占領地のウラン鉱床の調査より) |
| 1940.11 |
米・エドウィン・マクミラン MITのレーダー研究へ転出 |
| 1940.11 |
米・気体拡散法の検討開始
[ハロルド・ユーリー/ジョン・ダニング]
(6フッ化ウランは 56℃で気体となる,コロンビア大) |
| 1940.12.15 |
米・新元素 94239 の核分裂を予見
[エンリコ・フェルミ/エミリオ・セグレ]
(凍てついたハドソン川沿いの散歩中に議論,原子炉による新元素製造) |
| 1940.12.16 |
米・新元素 94239 の生成法の打合せ
[ローレンス/セグレ/ペグラム/フェルミ]
(60インチ・サイクロトロンを使用) |
| 1940.12.28 |
英・新元素 94の生成を依頼
[J・D・コッククロフト]
(ハンス・ハルバンの重水減速原子炉構想,ブレッチャーの新元素 93の分離方法発見も合せてアメリカヘ伝達) |
| 1940.12 |
英・ウラン235 の分離工場の見積り提出
[フランツ・シモン]
(モード委員会,気体拡散法) |
| 1940.12 |
英・新元素 94の核分裂の可能性報告
[フェザー/ブレッチャー]
(モード委員会) |
| 1940.12 |
日・サイクロトロンによる分裂断面積の測定開始
[仁科芳雄] ( 50才)
(製作中の 60インチサイクロトロンの設計図はローレンスに貰う) |
| 1940 |
ソ・ウランの自然崩壊発見
[ゲオルゲ・フロレフ/ペトロザク] |
1941
[昭和16年] |
米・フィリップ・アーベルソン 海軍研究所へ赴任
(潜水艦用動力源としいての濃縮ウラン小型原子炉の開発,液体熱拡散によるウラン濃縮法を開発,内外パイプ間隙 0.1インチ,6フッ化ウランの製造法開発) |
| 1941. 1.28 |
米・新元素 94238 発見
[グレン・シーボーグ( 28才)/エミリオ・セグレ]
(サイクロトロンで重陽子を加速して酸化ウランを照射,バークレー校,1951 シーボーグ ノーベル賞受賞) |
| 1941. 2.23 |
米・新元素 94を化学的に溶液として分離
[エミリオ・セグレ/グレン・シーボーグ/アーサー・ウォール]
(トリウムをキャリヤーとして沈殿,酸化させてトリウムを沈殿) |
| 1941. 3. 6 |
米・新元素 94239 を生成・分離
[エミリオ・セグレ/グレン・シーボーグ]
(サイクロトロンで重陽子を加速してベリリウムを照射,発生する中性子で 1.2Kgの酸化ウランを照射,分離後 1μg弱の新元素
94を得る) |
| 1941. 3.17 |
米・アーネスト・ローレンス ウラン計画促進をコンプトンに提案
(サイクロトロンによるウラン235 濃縮法の確信に基づく) |
| 1941. 3.28 |
米・新元素 94239 の核分裂確認
[エミリオ・セグレ/グレン・シーボーグ/ジョセフ・ケネディ]
(サイクロトロンで重陽子を加速してベリリウムを照射,発生する中性子をパラフィンで減速して新元素 94に照射,ウランの約 1.5倍) |
| 1941. 3 |
米・ウラン235 の分裂断面積の測定精度向上
[メール・チューブ]
(結果はイギリスへ伝達) |
| 1941. 3 |
英・ウラン235 の臨界量を計算
[ルドルフ・パイエルス]
(タンパーがあれば 4〜4.5s,爆弾は実現可能のサイズとなる) |
| 1941. 3 |
米・武器貸与法成立
(ルーズベルト大統領の提唱した武器貸与計画の一環,ソ連へのアラスカ経由の補給線,モンタナ州グレートフォールズ,ゴア飛行場) |
| 1941. 4 |
日・帝国陸軍は原爆研究を許可
(理研,熱拡散法によるウラン濃縮研究,予算 2万円) |
| 1941. 5. 5 |
米・再審査委員会イギリスへ
[アーサー・コンプトン]他
(先行のケネス・ベインブリッジからの訪英要請) |
| 1941. 5.17 |
米・アーサー・コンプトン 再審査委員会報告(NSA報告)
(フェルミの研究費用を必要なだけ出すように提案) |
| 1941. 5.18 |
米・新元素 94239 の分裂断面積を測定
[エミリオ・セグレ/グレン・シーボーグ]
(遅い中性子による核分裂,ウラン235 の 1.7倍) |
| 1941. 5 |
英・クラウス・フックス 原爆研究開始
(ルドルフ・パイエルス門下,筋金入りの共産主義者,1911 独・リュッセルスハイム生れ,1940.9 敵性外国人としてカナダに強制移送,1940.12
イギリス送還,ソ連に情報を流すことを決意) |
| 1941. 5 |
日・超爆発的 U235 について講演
[萩原篤太郎]
(同位体分離の必要性,水素爆弾への起爆剤として有用) |
| 1941. 6.22 |
独・ソ連侵攻 |
| 1941. 6.23 |
英・ジョージ・トムソン モード委員会報告作成
(ウラン235 爆弾は可能と結論,新元素 94は報告されていない) |
| 1941. 7. 3 |
ソ・国家防衛委員会(GKO)設置
[ラヴレンチー・ベリヤ] |
| 1941. 7. 7 |
英・モード委員会の結論を正式にアメリカへ報告
(しかしライマン・ブリッグズは報告書を金庫にしまい込む) |
| 1941. 7.11 |
米・アーネスト・ローレンス 『94番元素の核分裂に関する覚書』提出
(プルトニウム爆弾構想) |
| 1941. 7.24 |
米・新元素 94239 の分裂断面積を報告
(速い中性子による核分裂,ウラン238 の 3.4倍) |
| 1941. 8 |
英・マーク・オリファント アメリカの原子力計画を激励
(イギリスの期待を伝達,モード委員会報告の非公式伝達,状況調査) |
| 1941. 9 |
英・原子爆弾審議会発足
[ジョージ・アンダーソン]
(チューブ・アロイ計画) |
| 1941. 9 |
米・原子爆弾による水素爆弾の着火の可能性を検討
[エンリコ・フェルミ/エドワード・テラー] |
| 1941. 9 |
米・黒鉛指数パイルの建設開始
[エンリコ・フェルミ/レオ・シラード]
(最初のパイルの再生産因子 K=0.87,フットボールチームの選手を時給で雇う) |
| 1941.10. 9 |
米・ヴァネヴァー・ブッシュ ルーズベルト大統領にモード委員会報告を提出
(原爆開発計画発足,原子力政策を原子炉から原爆へ転換) |
| 1941.10.21 |
米・再審査委員会開催
[アーサー・コンプトン]他
(スケネクタディー会議,モード委員会報告,オッペンハイマー参加) |
| 1941.10 |
ボーア/ハイゼンベルク会談
(コペンハーゲン,ハイゼンベルクは重水減速型反応炉の図を示す) |
| 1941.11. 6 |
米・コンプトン 再審査委員会報告(第3NAS報告)
(ウラン爆弾の可能性,3〜4年以内,濃縮プラントに 5千〜1億ドル,プルトニウム計画にはまだ触れていない) |
| 1941.11.12 |
米・37インチ・サイクロトロンの質量分光器への改造決定 |
| 1941.11.27 |
米・ブッシュ 第 3NAS報告書を大統領に提出 |
| 1941.11 |
米・ウラン235 を分離
[ジョン・ダニング/ユージン・ブース]
(気体拡散法,6フッ化ウラン,コロンビア大・代用合金材料研究所) |
| 1941.12. 1 |
米・新元素 94239 の核分裂実験結果をコンプトンに報告
[アーネスト・ローレンス] |
| 1941.12. 2 |
米・ウラン235 を分離
[アーネスト・ローレンス]
(37インチ・サイクロトロン改造の 180°型質量分光器,100μg,1ヵ月の連続運転,カリフォルニア大) |
| 1941.12. 6 |
米・コンプトン プルトニウム爆弾構想を提出
(ヴァネヴァー・ブッシュは保留) |
| 1941.12. 6 |
ソ・モスクワでドイツ軍に反撃 |
| 1941.12. 8 |
日・真珠湾を奇襲攻撃
(米 12.7,『ニイタカヤマノボレ』,『トラ!トラ!トラ!』,使用された浅海用魚雷は長崎の三菱軍需製作所製,長崎で始り長崎で終る) |
| 1941.12. 9 |
米・プルトニウム爆弾構想スタート
[ブッシュ/コンプトン/コナント]
(非公式会談,ルーズベルト大統領には知らされていない) |
| 1941.12.16 |
米・ヴァネヴァー・ブッシュ 陸軍工兵隊の関与をマーシャル将軍へ要請 |
| 1941.12.18 |
米・科学研究開発局(OSRD)S-1委員会発足
[コナント/ブリッグズ/ペグラム/コンプトン/ローレンス/ユーリー/サミュエル・アリソン/G・ブライト/エドワード・コンドン/ヘンリー・スマイス]
(原爆開発に全力を上げる) |
| 1941.12.20 |
米・原爆開発予算 65万1000ドル(半年分)認可
(ウラン委員会予算の 100倍以上) |
| 1941.12 |
米・カルトロン開発開始
[アーネスト・ローレンス]
(ウラン235 分離用,184インチ・サイクロトロンを一時中止し転用) |