1942. 1.24
[昭和17年] |
米・原子力研究(パイル計画)のシカゴ冶金研究所への集約を決定
[コンプトン/ローレンス/シラード]他 |
| 1942. 3 |
米・新元素をネプツニウム 93,プルトニウム 94 と命名
[グレン・シーボーグ]
(天王星,海王星,冥王星にちなむ,マクミランの案に従う) |
| 1942. 3 |
ソ・ベリア秘密警察長官 西側の核開発の概況をスターリン首相に報告
(スパイ情報に基づく) |
| 1942. 4.18 |
米・東京初空襲
(ドゥリットル爆撃隊,B-25・16機,航空母艦「ホーネット」より中国へ抜ける,マッカーサーも認知していない奇襲攻撃) |
| 1942. 4.23 |
米・シカゴ冶金研究所化学会議開催
[グレン・シーボーグ/ウィグナー/ジョン・ホイラー]他
(プルトニウムの分離法の検討と沈殿反応を研究対象に追加) |
| 1942. 4 |
米・超微量化学実験室を設置
[グレン・シーボーグ]
(シカゴ冶金研究所,クイーズ大のベネデッティ・ピクラーの指導) |
| 1942. 4 |
ソ・『フリョーロフの手紙』スターリン首相へ
(米英の科学専門雑誌から核分裂関係の論文の掲載が無くなったことにより米英の核開発開始を推定) |
| 1942. 5.14 |
米・ジェームス・コナント 原爆開発研究成果をブッシュ長官に報告 |
| 1942. 5.15 |
米・遅延中性子の確認実験報告
(遅延中性子は即発中性子の 1%以下,パイルの制御理論へ,即発中性子のKは 1以下,遅延中性子を含めたKは 1以上) |
| 1942. 5.18 |
米・グレゴリー・ブライト 高速中性子による核分裂関係のを担当者辞任
(秘密管理が不十分であることを理由に,新研究所の設置を提案) |
| 1942. 5.26 |
米・184インチ・サイクロトロン用磁石完成
[アーネスト・ローレンス]
(カルトロン開発,総重量 4000トン) |
| 1942. 5 |
米・シカゴパイル 1号(CP-1)の設計開始
[エンリコ・フェルミ/ハーバート・アンダーソン] |
| 1942. 6. 5 |
ミッドウェー海戦で日本軍敗北 |
| 1942. 6.11 |
米・ロバート・オッペンハイマー シカゴへ赴任
(高速中性子による核分裂の研究,グレゴリー・ブライトの後任) |
| 1942. 6.13 |
米・ブッシュ/コナント 『原子分裂爆弾』報告を大統領に提出
(プルトニウム計画に対する研究者の確信を表明) |
| 1942. 6.17 |
米・プルトニウムの生産開始
(セントルイス大/ワシントン大の 45インチ・サイクロトロンを使用,300ポンド・136Kgの硝酸ウラン 6水化物を 1ヶ月連続照射) |
| 1942. 6.17 |
米・ルーズベルト大統領 原爆開発計画を認可 |
| 1942. 6.18 |
米・マーシャル大佐 陸軍工兵隊特別管区を設置 |
| 1942. 6.25 |
米・第 1回執行委員会開催(S-1委員会)
[コナント/ブリッグズ/コンプトン/ローレンス/ユーリー/マーフリー/スタイヤー少将/マーシャル大佐/ニコルズ大佐]
(遠心分離法と気体拡散法は未完,必要電力は 10万8千KWと見積り) |
| 1942. 6.27 |
米・冶金研究所会議開催
[コンプトン/アリソン/フェルミ/シーボーグ/シラード/テラー/ウィグナー/ジン]
(原爆の可能性研究から軍事研究への変換,コンプトンは激励,アルゴンヌにパイロットプラント建設を計画) |
| 1942. 7. 9 |
米・S-1委員会開催
(カナダ・トイレルの重水工場をコンソリデーテッド社に発注,暫定建設計画決定) |
| 1942. 7.27 |
米・セントルイスよりシカゴへプルトニウム到着 |
| 1942. 7 |
米・バークレー夏期研修会開催
[オッペンハイマー/ベーテ/テラー/ヴァン・ヴレック/フェリックス・ブロッホ/ロバート・サーバー/エミール・コノピンスキー]
(理論物理学者『ルミナリー』を集合,エドワード・テラーは熱核反応の点火に原子爆弾を提案,バークレー行きの寝台車でベーテと協議し研修会で論議,コノピンスキーが三重水素の使用を提案,重水素化リチウムの検討,リチャード・トールマンは爆縮を提案) |
| 1942. 8.11 |
米・マーシャル大佐 マンハッタン工兵管区と命名 |
| 1942. 8.20 |
米・プルトニウムを固体として分離
[バーリス・カニンガム/ルイス・ウェルナー]
(2.77μgのフッ化プルトニウム,顕微鏡下で観察,フッ化ランタンを担体とする沈殿法) |
| 1942. 8 |
米・S-1委員会開催
(バークレー夏期研修会報告,スーパーのニュース報告) |
| 1942. 9.13 |
米・第 5回執行委員会開催
(テネシー渓谷にパイロットプラント建設,S&W社との契約を勧告) |
| 1942. 9.14 |
米・S-1委員会開催
(ユニオン・ミニエール社の保持するウラン鉱石の購入を勧告) |
| 1942. 9.17 |
米・レスリー・グローヴス大佐( 46才) マンハッタン計画の責任者に任命
(ペンタゴンの建設担当者) |
| 1942. 9.18 |
米・ニコルズ大佐 ウラン鉱石を買収
(1940 よりニューヨークのスタテン島リッチモンド港に野積されていた,1250トン) |
| 1942. 9.19 |
米・ドナルド・ネルソン マンハッタン計画に物資供給優先度『AAA』を承認 |
| 1942. 9.21 |
米・グローヴス/マーシャル 海軍研究所を視察 |
| 1942. 9.23 |
米・レスリー・グローヴス 准将に昇進
(軍事政策委員会は 4名で構成,打合わせ途中退席してクリントン視察のためユニオン・ステーションへ向う) |
| 1942. 9 |
米・『シカゴのトラブル』発生
[シラード/フェルミ/ウィグナー/ホイラー]他
(ストーン&ウェブスター社に対するシカゴの物理学者達の反乱) |
| 1942. 9 |
米・クリントンに用地買収
(ウラン235 分離工場,5200エーカー,オークリッジは居住地名) |
| 1942. 9 |
英仏原子力協定
[ハンス・ハルバン]
(相互の特許公開等を協定,フランスの利権を確保,英仏秘密協定,1943 カナダ・モントリオールでチューブアロイ計画に参加) |
| 1942. 9 |
ソ・原爆研究スタート
(イーゴリ・クルチャトフ(40才)を責任者に選定,総括指揮は副首相ヴャチェスラフ・モロトフ,プルトニウムに関する知識なし) |
| 1942.10. 5 |
米・グローヴス将軍 シカゴ冶金研究所を視察
(原爆に必要な核分裂物質量の精度は ±25%〜±50%程度) |
| 1942.10.18 |
米・グローヴス/ブッシュ/オッペンハイマー会談
(バークレー校) |
| 1942.11. 5 |
米・グローヴス将軍 ストーン&ウェブスター社に電磁分離法の生産プラント建設を認可
(Y-12,ゼネラル・エレクトリック社:電力供給装置,アリス・チャルマーズ社:電磁石,ウェスチングハウス社:プロセス容器) |
| 1942.11.10 |
米・グローヴス将軍 デュポン社にプルトニウム計画を委託
(カーペンター社長はクリントン以外のプルトニウム生産工場を提案) |
| 1942.11.12 |
米・軍事政策委員会開催
(ウラン235 製造プラントについて決定,パイロットプラントを省略) |
| 1942.11.14 |
米・第8回執行委員会開催
(気体拡散法,電磁分離法のパイロットプラント省略を承認,気体拡散法は 2倍濃縮程度と認識,プルトニウム計画をストーン&ウェブスター社からデュポン社に変更と報告) |
| 1942.11.16 |
米・ロスアラモス地区視察
[ダッドレイ少佐/グローヴス将軍/オッペンハイマー/マクミラン]
(当初の予定地が気に入らず,オッペンハイマーは旧知のロスアラモスを提案) |
| 1942.11.16 |
米・シカゴパイル 1号(CP-1)の建設開始
[フェルミ/ジン/アンダーソン]
(手積み,グローヴスが見かねて作業用エレベータを手配) |
| 1942.11.18 |
米・再審査委員会(ルイス委員会)設置
[W・K・ルイス/ロジャー・ウィリアムス/グリーンウォルト]
(デュポン社自身によるプルトニウム計画の確認) |
| 1942.11.19 |
米・新たなプルトニウムの化学的分離法発見
[S・G・トンプソン]
(リン酸ビスマス法,収率は落ちるがフッ化水素による設備の腐食を避けることが出来る) |
| 1942.11.23 |
米・兵器研究所(Y計画)はロスアラモスに決定 |
| 1942.12. 2 |
米・シカゴパイル 1号臨界
[フェルミ/ジン/アンダーソン]
(350トンの純粋黒鉛,35トンの金属ウラン,出力 50W,4.5分間の運転,ウィグナーの持ってきたキャンティ(Bertolli)で乾杯,コンプトンはコナントに電話『イタリアの航海士が今新世界に上陸した』,12.12
出力 200Wにアップ) |
| 1942.12. 4 |
米・レオ・シラード特許問題
(機密保持についてグローヴスと対立,敵性外国人扱いを受ける,プロジェクト参加前の発明が認められフェルミ,ウィグナーと同待遇となる) |
| 1942.12.15 |
米・W・K・ルイス 再調査委員会報告
(気体拡散法による 90%濃縮を計画,4600段プラントを勧告) |
| 1942.12.23 |
米・コンプトン グローヴス将軍に書簡
(プルトニウム計画は可能,最初の原爆は 1945,以降は月 1個) |
| 1942.12.28 |
米・デュポン社 プルトニウム計画を受託
(掛り費用以外の報酬契約は1ドル) |
| 1942.12 |
米・グローヴス将軍 ケレックス社に気体拡散法の生産プラント建設を委託
(K-25,ケレックス社はケロッグ社の専属子会社,TVAの電力に依存せずに独自の火力発電所を建設) |
1943. 1. 4
[昭和18年] |
米・液体熱拡散法によるウラン濃縮の報告
[ロス・ガン/フィリップ・アーベルソン]
(海軍にはシカゴパイルの臨界については知らされていなかった) |
| 1943. 1.15 |
米・クリントンのパイル設計開始
(パイロットプラント,分離実験用資料作成原子炉,冷却方式定まらず,ディポン社のクロフォード・グリーンウォルトはヘリウム方式を検討,ユージン・ウィグナーは水冷方式で
OKと判断) |
| 1943. 1 |
米・グローヴス将軍 ユニオン・カーバイド社に気体拡散法の生産プラントの運転を委託 |
| 1943. 1 |
ソ・核開発開始を決定
(クラウス・フックスからの情報に基づく) |
| 1943. 2. 1 |
米・マッシアス中佐 ハンフォードに用地買収
(プルトニウム工場,水冷式パイルと化学分離プラント,グランド・クーリーダムからの送電線が通る,510万ドル) |
| 1943. 2. 1 |
日・ガダルカナル島撤退 |
| 1943. 2. 2 |
スターリングラードでドイツ軍降伏 |
| 1943. 2.18 |
米・クリントンのウラン235 分離工場(クイーン・メリー)建設開始 |
| 1943. 2.27 |
英・リューカンの重水工場爆破作戦成功
[クヌード・ハウケリド]
(ノールウェー・ヴェモルク,ノルスク・ハイドロ社,重水生産量120Kg/日,6人のノルウェー人レジスタンスがパラシュートで降下,18基の電解槽を破壊,ドイツの核開発研究の妨害) |
| 1943. 3. 6 |
日・海軍の委員会 原爆開発を断念
(レーダー開発を優先,原爆開発は可能だが 10年を要する) |
| 1943. 3. 7 |
ソ・クルチャトフにスパイ情報(イギリスのフックス情報?)を開示
(気体拡散分離法を研究テーマに組み入れる,ハンス・ハルバンとレフ・コヴァルスキーの実測した重水素の中性子捕獲断面積資料による重水炉の可能性,フェルミの原子炉情報は伝わっていない) |
| 1943. 3.15 |
米・オッペンハイマー( 38才) ロスアラモスへ赴任
(所長,ロスアラモスの宿舎未完のためサンタフェ入り) |
| 1943. 3.17 |
米・α/βカルトロンの設計仕様決定 |
| 1943. 3.22 |
ソ・クルチャトフ プルトニウムに気付く
(スパイ情報の断片的記述より過去の「フィジカル・レビュー」誌を調査,ウラン・パイルに言及,新たなスパイ情報を要求) |
| 1943. 3 |
米・αカルトロンのXA磁石完成
(イオン回転半径 3→ 4フィート,3410エルステッド) |
| 1943. 3 |
米・ゴア飛行場の責任者ジョージ・ジョーダン 武器貸与法の援助物資に多数の黒いスーツケースを発見
(中身が多量のスパイ情報であることをワシントンに伝えるが無視されメモに残す,核物質も含まれていた) |
| 1943. 4. 1 |
米・グローヴス将軍 気体拡散法のN-Aバリアーの生産をホウデイル・ハーシー社に委託
(電気メッキによるニッケル障壁,6フッ化ウランの腐食問題) |
| 1943. 4 |
米・ロスアラモス研究所発足
[オッペンハイマー/ベーテ/テラー/エミール・コノピンスキー/フェリックス・ブロッホ/スタンレー・フランケル/エルドレッド・ネルソン/ロバート・サーバー]他
(平均年齢 26才,最終 3000人,『ロスアラモス教本』はロバート・サーバーによる 5回の講義録をエドワード・コンドン副所長がまとめたもの,24ページのガリ版刷り,爆弾装置のことをを『ガジェット』と呼ぶ,2年で可能と見積る,研究所は有刺鉄線で囲われる,エドワード・コンドンは保安手段が圧制的と
2週間でロスアラモスを去る) |
| 1943. 4 |
米・爆縮法の着想
[セス・ネッダマイヤー]
(球体の均等圧縮による着火法) |
| 1943. 4 |
米・重量 5トンの大砲は不要と判定
[E・L・ローズ]
(使用されるのは 1度だけ,軽量化して航空機での運搬が可能となる) |
| 1943. 5. 5 |
米・軍事政策委員会開催
(気体拡散法は電磁分離法の補助手段と位置付け) |
| 1943. 5.10 |
米・W・K・ルイス 再調査委員会報告
(核物理研究計画を承認,プルトニウム計画への大幅変更,グローヴス将軍はロスアラモスの人員倍増を認可) |
| 1943. 5.25 |
ホワイトハウス会談
[ハリー・ホプキンズ/ブッシュ/チャーウェル卿]
(原爆開発の情報交換についてチャーチル首相の要求を伝達) |
| 1943. 5.29 |
日・アッツ島守備隊玉砕 |
| 1943. 5 |
日・陸軍航空本部 理研仁科研に「二号研究」を委託
(熱拡散法によるウラン235 濃縮,仁科の「ニ」,予算 200万円) |
| 1943. 5 |
日・海軍艦政本部 京大荒勝研に「F研究」を委託
(遠心分離法によるウラン235 濃縮,理論研究に終わる,1945.7.21 第1回会合で成果を発表,予算
60万円) |
| 1943. 6. 1 |
米・デュポン社/シーボーグ会談
(デュポン社のグリーンウォルトはリン酸ビスマス法を選択) |
| 1943. 6 |
米・ウィリアム・パーソンズ中佐( 43才) ロスアラモスへ赴任
(近接レーダ信管の実験担当海軍将校,後にリトルボーイの投下要員) |
| 1943. 6 |
加・イーゴリ・グーゼンコ オタワのソ連大使館に赴任
(大使館付武官ニコライ・ザボーチンの暗号官,スパイ情報を暗号化してモスクワに打電,カナダルート) |
| 1943. 7. 2 |
日・仁科芳雄 原爆は可能と陸軍に報告
(気体熱拡散法に期待) |
| 1943. 7. 3 |
ソ・クルチャトフ アメリカのスパイ情報を分析
(237編の論文,黒鉛パイルに注目,しかし 1年前の資料であった,プルトニウムの分裂断面積) |
| 1943. 7 |
米・プルトニウムの 2次中性子数の確認
[ロバート・ウィルソン]
(2.9個,184インチ・サイクロトロンで資料作成,ロスアラモス) |
| 1943. 7.17 |
米・ガン・メソッドの試射開始
[ウィリアム・パーソンズ]
(シンマン用,当初はプルトニウム爆弾用としても計画) |
| 1943. 7.22 |
ダウニング街(10番地)会談
[チャーチル/アンダーソン卿/チャーウェル卿/スチムソン/ブッシュ/ハーベー・バンディ]
(情報交換の要求,ソ連の脅威に対抗,ルーズベルトへ伝達を約束) |
| 1943. 7.24 |
ハンブルグの無差別爆撃
(ゴモラ作戦,初の絨毯爆撃,7.28 第2次爆撃,巨大な火の嵐が発生) |
| 1943. 7.25 |
伊・ムッソリーニ辞任,逮捕 |
| 1943. 7.30 |
米・ロバート・ウィルソン 世界中の全プルトニウムをシーボーグに返却
(サンタフェのホテルにて,ウィルソンはウィンチェスター銃で武装,シーボーグはそのままポケットへ) |
| 1943. 8.19 |
ケベック会議
[ウィンストン・チャーチル/フランクリン・ルーズベルト/ボーア]
(原爆開発についての国際協定,英仏原子力協定については言及せず) |
| 1943. 8.29 |
独・デンマーク軍を武装解除 |
| 1943. 8 |
米・重水素と三重水素の反応速度は重水素の 10倍と報告
(エドワード・テラーがベーテを通じてパデュース大に実験を依頼) |
| 1943. 8 |
米・オッペンハイマー ソ連工作員の接近を保安将校ボーリス・バッシュ大佐に報告
(数ヶ月後に報告) |
| 1943. 9 |
米・ジョン・フォン・ノイマン ロスアラモスへ赴任
(ネッダーマイヤーの支援,数学部門) |
| 1943. 9.29 |
ニールス・ボーア スウェーデンへ脱出
(モターボートで脱出,脱出後デンマーク在住ユダヤ人の保護をスウェーデン政府に訴える) |
| 1943.10. 6 |
ニールス・ボーア イギリスへ亡命
(外交郵便用モスキート爆撃機の弾薬庫にパラシュートをつけて搭乗,高度飛行の為ボーアは酸欠で気絶,1週間後アーゲ・ボーア ロンドンへ,渡英中のリチャード・トールマンはグローヴス将軍よりのマンハッタン計画参加要請を伝える) |
| 1943.10 |
米・αカルトロン完成
(『レーストラック』,銅不足のため財務省管理の銀を電磁石のコイルに使用,5〜10トンの要求に「財務省では銀はトロイ・オンスで量ります」と皮肉られる,3億
9500万トロイ・オンス,3億ドル,レーストラックは 2階,1階は真空ポンプ室,専用火力発電所,運転要員 4800人) |
| 1943.10 |
米・ハンフォードのプルトニウム生産パイル(100-B)着工 |
| 1943.10 |
米・爆縮法では臨界量未満のコアが圧縮されて臨界に達する事に着目
[ジョン・フォン・ノイマン/エドワード・テラー]
(中性子が逃出し難くなるため,少量の爆発物で可能) |
| 1943.11. 4 |
米・クリントンのパイル臨界
(800KW,X-10,強制空冷黒鉛原子炉,7.5m□1944.2:1800KW,1944.6:3800KW,グレン・シーボーグに負う所大) |
| 1943.11.16 |
英・リューカンの重水工場爆撃
(B-17爆撃機,140機,発電所爆破,以前爆破されたナチスの重水工場は 4月には復旧,ドイツは重水生産を国内への移動を決定) |
| 1943.11.20 |
米・クリントンのプルトニウム分離処理開始
(遠隔操作プラント,5トンの中性子照射済ウランの処理) |
| 1943.11.29 |
米・B-29爆撃機・原爆投下用改造開始
[ノーマン ・ラムゼー]
(原爆の外形寸法概略決定,シンマンの砲身長は 17フィート,前部爆弾倉と後部爆弾倉を連結,シンマン=ルーズベルト,ファットマン=チャーチル,ラムゼーは
1989ノーベル賞授賞) |
| 1943.11 |
米・海軍液体熱拡散法プラントを認可
(フィラデルフィア海軍工廠のボイラ−実験場の廃棄蒸気を利用) |
| 1943.11 |
日・ウラン235 分離塔の建設開始
(「二号研究」) |
| 1943.12. 3 |
イギリス科学者グループ(15名) ケベック協定によりアメリカへ渡航
[ウォーレス・エイカーズ/オットー・フリッシュ/ルドルフ・パイエルス/ウィリアム・ペニー/ジョージ・プラシェク/フィリップ・ムーン/ジェームス・タック/イーゴン・ブレッチャー/クラウス・フックス]
[ジェームス・チャドウィック/ジェフリー・テイラー]は後より参加
[ニールス・ボーア/アーゲ・ボーア]も次いで参加
(ブリティッシュ・ミッション) |
| 1943.12. 6 |
ニールス・ボーア/アーゲ・ボーア アメリカへ |
| 1943.12.14 |
米・米軍特種部隊(ALSOS) イタリアへ上陸
[ボーリス・パッシュ中佐]
(収集情報によりドイツの原爆開発を否定,科学者達には伏せられる) |
| 1943.12.22 |
米・気体拡散法の N-Aバリアーの生産不能を報告
(フランツ・シモン/ルドルフ・パイエルスの視察) |
| 1943.12.31 |
米・パイルの兵器としての可能性検討
ニールス・ボーアが、ヘイゼンベルグから得た原子炉構想図を、オッペンハイマーに見せた。兵器として使用可能なものかどうかが、検討された。参加した研究者の一致した結論として、不可能と判定され、その結論のメモがグローブスに送付された。 |
| 1943.12 |
米・宇宙線中性子によるウラン235 の核分裂発見
[エミリオ・セグレ]
(迷走中性子を遮断すればコアを簡略化し集合速度を遅くすることが可能,シンマンからリトルボーイへの展開,爆弾全長 17フィート:5.2mから
6フィート:1.8m,B-29の爆弾倉に収納可能) |
1944. 1
[昭和19年] |
米・気体拡散法の新型障壁(Jバリアー)の採用決定
(ユニオン・カーバイト社,N-Aバリアと交換の遅れに対し手作り方式の生産計画を提案,2892ステージ) |
| 1944. 1 |
米・ジョージ・キスチャコフスキー( 44才) ロスアラモスに着任
(ネッダーマイヤーの支援,化学・爆薬部門) |
| 1944. 1 |
米・海軍の液体熱拡散プラント建設開始
[フィリップ・アーベルソン]
(300本カラムのプラント) |
| 1944. 1 |
米・クラウス・フックス ソ連側連絡員ハリー・ゴールドと接触
(マンハッタンのロワー・イーストサイド,イギリスを立つ前に指示を受ける) |
| 1944. 2. 1 |
米・クリントンのプルトニウム分離完了
(パイロットプラント,190mg) |
| 1944. 2.20 |
英・リューカンの重水を沈没
[クヌード・ハウケリド/アルフ・ラーセン]
(残った重水をドイツへ移送中のハイドロ号を爆破,ドイツ核開発の終焉,1947 クヌート・ハウグランドはハイエルダールと共にバルサ材の筏コン・ティキ号でペルーからポリネシアへ太平洋を渡る) |
| 1944. 3. 1 |
米・最初のプルトニウム239 クリントンからロスアラモスへ |
| 1944. 3. 3 |
米・B-29原爆投下テスト開始
(シンマン型模擬爆弾の投下は爆弾倉のドアが開く前に落下し失敗,ファットマン型の投下は成功したが飛行方向が安定せず) |
| 1944. 3.27 |
ベルギー領コンゴのウラン全部の先売権を英米国政府に認める
[ジョン・アンダーソン卿/ワイナント駐英大使/トレイナー大佐]
(ロンドンにてベルギー政府代表と交渉,3億7500万ドル) |
| 1944. 3.29 |
日・「マッチ箱 1個のウランがロンドン市を壊滅できる」と報道
(朝日新聞,マッチ箱 1個のウラン=1Kg=20KT=広島原爆) |
| 1944. 3 |
日・ウラン235 分離塔完成
(「二号研究」,気体熱拡散法,6フッ化ウラン,フィリップ・アーベルソンが放棄した方法) |
| 1944. 3 |
米・最初の濃縮ウラン235 クリントンからロスアラモスへ
(10%濃縮) |
| 1944. 3 |
米・ケネス・ベインブリッジ トリニティ実験の責任者に任命
(オッペンハイマーがトリニティと命名) |
| 1944. 3 |
米・ノルマンディ上陸作戦対策用としてポータブル・ガイガーカウンター,X線フィルム等を用意
(ペパーミント作戦,ドイツの放射能攻撃を懸念) |
| 1944. 3 |
米・核爆発による火の玉の予想
[ハンス・ベーテ/R・クリスティ]
(連鎖反応により軟X線が発生,軟X線により加熱された空気が火の玉となり衝撃波が発生する,モード委員会報告には G・I・テイラーの結論のみ記載) |
| 1944. 3 |
米・クラウス・フックス 気体拡散法資料を渡す
(マジソン街,自分の論文草稿他,口頭で内輪情報も伝達) |
| 1944. 4.22 |
日・気体熱拡散法によるアイソトープ分離予備実験開始
(「二号研究」,アルゴンでは成功) |
| 1944. 4.28 |
米・オッペンハイマー 液体熱拡散法の利用をグローヴスに勧告
(フィリップ・アーベルソンがロスアラモスへ出掛ける海軍将校に委託,ウラン235 の濃縮の前工程として有効と提案,エドワード・テラーに伝えられる,オッペンハイマーはディーキ・パーソンズがフィラデルフィアを訪問して知ったことにする,「科学的へまをやった」とグローヴスに告白,気体拡散プラントの補足用) |
| 1944. 4 |
米・爆薬レンズ提案
[ジェームズ・タック]
(装甲貫通弾の成形爆薬の開発担当,燃焼速度の異なる爆薬を組合わせて球面衝撃波を成型する) |
| 1944. 4 |
米・IBM計算機到着
[ジョン・フォン・ノイマン/スタニスロウ・ウーラム]
(爆縮の流体力学問題,爆縮衝撃波の干渉問題) |
| 1944. 5.16 |
チャーチル/ボーア会談
(国際協力を進言,ソ連問題の提言,『ボーアの黙示録』理解されず) |
| 1944. 5 |
米・オッペンハイマー ルドルフ・パイエルスを理論部門へ
(エドワード・テラーはスーパー開発担当に退く) |
| 1944. 5 |
米・βカルトロン完成
(ウラン235 の高濃縮プラント,イオン回転半径 2フィート) |
| 1944. 5 |
米・トリニティ実験場としてアラモゴード北方の平地(ホルナダ・デル・ムエルト)を選定
[オッペンハイマー/ベインブリッジ] |
| 1944. 6. 1 |
米・フィラデルフィア海軍工廠に建設中の液体熱拡散プラントを見学
[W・K・ルイス/エガー・マーフィー/リチャード・トールマン] |
| 1944. 6. 6 |
ノルマンディ上陸作戦
[ドワイト・アイゼンハワー将軍]
(1200隻の戦艦,1500台の戦車,1万2000機の航空機,15万6000人の兵士) |
| 1944. 6.12 |
米・軍事政策委員会開催
(クリントンに液体熱拡散プラントの建設を認可) |
| 1944. 6.13 |
独・V-1号ロケット ロンドンを爆撃
(1944.9.4迄に 8070機発射,29%がロンドンへ,ラムジェット機) |
| 1944. 6.16 |
米・B-29による日本初空襲
(成都より発進,北九州八幡地区,47機) |
| 1944. 6.18 |
米・グローヴス将軍 クリントンに液体熱拡散法プラント建設を委託
(H・K・ファーガソン社,気体拡散法プラントの遅れをフォロー,2100本のカラム,海軍の特許を 1ドルで借り受ける) |
| 1944. 6 |
米・オッペンハイマー ジョージ・キスチャコフスキーを爆薬部門の責任者に任命
(セス・ネッダーマイヤーは技術顧問に退く) |
| 1944. 6 |
米・高濃縮ウラン235 クリントンからロスアラモスへ |
| 1944. 7. 7 |
日・サイパン島守備隊玉砕 |
| 1944. 7.11 |
米・プルトニウム爆弾は失敗と判断
(『真夏の危機』,クリントンのプルトニウムにはプルトニウム240 が多いことをセグレが確認,シンマン型では完全合体前に早期爆発を起こし所定の爆発力が得られない,オッペンハイマーは辞任を検討,実験物理部門のロバート・バッカーが慰留) |
| 1944. 7.17 |
米・オッペンハイマー ロスアラモスの最優先順位は爆縮法に変更
(シンマンの放棄,プルトニウムの場合 10Km/secでの爆縮が必要,複数個の爆弾を得るためにウランの爆縮型も検討,ジェームス・タックが爆薬レンズを提案) |
| 1944. 7.17 |
日・気体熱拡散法によるウラン235 分離実験開始
(「二号研究」,6フッ化ウランでは成功せず) |
| 1944. 7 |
米・航空写真よりドイツ・ビジンゲン地区に謎の工場建設を発見
[ボーリス・パッシュ]
(ドイツのオークリッジかと疑われたが英軍が頁岩油分溜工場と判断) |
| 1944. 8. 1 |
米・テニアン進攻
(日本爆撃用 B-29の基地として必要,後に 6本の滑走路建設) |
| 1944. 8. 5 |
米・ディヴィット・グリーングラス ロスアラモスへ赴任
(陸軍技術兵,爆薬レンズの開発支援,夫婦とも共産党員,フックスとは別ルート) |
| 1944. 8. 7 |
米・グローヴス将軍 新日程表提出
(爆縮法が成功すれば 1945.3〜6 に数発,失敗すれば 1945.8 に 1発) |
| 1844. 8.14 |
米・クラウス・フックス ロスアラモスへ赴任
(チャドウィックよりの要請,爆縮法の研究,ソ連側連絡員とは音信不通となる) |
| 1944. 8.25 |
米・米軍特種部隊(ALSOS) パリへ進駐
[ボーリス・パッシュ/サミュエル・ハウトシュミット]
(フランス軍戦車に続く最初のアメリカ軍部隊,ラジウム研究所へ,ジョリオ・キュリーを尋問,ドイツの原爆開発の進展を否定) |
| 1944. 8.26 |
ルーズベルト/ボーア会談
(国際協力を進言,ソ連問題の提言,『ボーアの黙示録』理解されず) |
| 1944. 8 |
米・ハンフォードの生産パイル用ウラン燃料の缶詰工程開発
(アルミニウム・シリコン合金で接着,溶融ハンダに浸す) |
| 1944. 8 |
米・ポール・ティベッツ大佐( 29才) 第 509混成部隊長に任命
(B-29のテストパイロット) |
| 1944. 8 |
米・カーチス・ルメイ将軍 第 20爆撃隊指揮官に任命
(中国の前進基地より B-29による日本爆撃を計画,ヒマラヤ越の移送) |
| 1944. 9. 8 |
独・V-2号ロケット ロンドンを爆撃
(1945.3.27 迄に 4320基発射,1050基がイギリスへ落下) |
| 1944. 9.13 |
米・ハンフォードの生産パイルに金属ウラン装填開始
(10万本の黒鉛,250トンのウラン,11m□×8.5mH) |
| 1944. 9.18 |
ハイドパーク協定
[ルーズベルト/チャーチル]
(秘密協定,原爆投下の目標は日本と決定) |
| 1944. 9.19 |
米・ブッシュ/コナント 戦後処理についてスチムソン陸軍長官へ覚書
(原爆を秘密にすることは危険と認識,ソ連の協定参加必要,熱核兵器の開発) |
| 1944. 9.19 |
米・米軍特種部隊(ALSOS) ドイツのウラン鉱石 68トンを押収
[ボーリス・パッシュ]
(ブリュッセルのユニオン・ミニエール社の調査よりドイツへ送れないでいる分を発見,1944.10 フランス・ツールーズで 30トンを発見) |
| 1944. 9.26 |
米・ハンフォードの生産パイル(Bサイト)臨界
(9Mwで運転,冷却水温度 10°→ 60°,18時間後に停止,6時間後に回復,核分裂生成物のキセノン135 が中性子を吸収するためと判明,キセノン135
の熱中性子の吸収断面積はカドミウムの 150倍,1944.12:2号炉臨界,1945始:3号炉臨界) |
| 1944. 9.29 |
ソ・イーゴリ・クルチャトフ 大量のスパイ情報に言及
(ラヴレンチー・ベリヤ宛ての手紙で 3000ページを吟味中,ヤコフ・テルレーツキーは 1万ページの資料が金庫に保管されていると言明,主にアメリカの機密文書,フックス以外のスパイが存在) |
| 1944. 9 |
米・αカルトロン本稼働開始
(10%濃縮ウラン,日産 100g) |
| 1944. 9 |
米・ロバート・クリスティ プルトニウムの中実コアを提案
(中空コアより効率が悪いが単純な構造となる,コア圧縮時に中性子を発生させるイニシエーターが必要) |
| 1944.10.25 |
日・神風特攻隊出撃
(レイテ沖海戦) |
| 1944.10.30 |
米・海軍の液体熱拡散プラント操業開始
(フィラデルフィア海軍工廠) |
| 1944.10 |
ソ・プルトニウム生成
[ボーリス・クルチャトフ]
(イーゴリ・クルチャトフの弟,レニングラードのサイクロトロンをモスクワに移送,数マイクログラム) |
| 1944.11.24 |
米・ヘイウッド・ハンセル B-29・日本爆撃開始
(マリアナより,100機,高高度爆撃,上空の高速気流により成功せず,ジェット気流の発見,第 21爆撃隊) |
| 1944.11.28 |
米・ハンフォードの生産パイルより照射済スラッグ(8.3トン)取出し |
| 1944.11 |
米・βカルトロン本稼働開始
(80%濃縮ウラン,日産 90g) |
| 1944.11 |
米・成型爆薬による爆縮実験開始
(爆破テストでの爆縮過程をX線で連続撮影,戦車利用の観察棟) |
| 1944.11 |
ソ・金属ウラン精錬
(ロバの背で運ばれた中央アジアのウラン鉱より,国立希少金属研究所,黒鉛の生産は始っていない) |
| 1944.12.17 |
米・ハンフォードの生産パイル予備導管にウランを追加装填し臨界
(1500本 → 2004本,連続運転が可能となる) |
| 1944.12.26 |
米・ハンフォードの照射済スラッグを分離プラントへ搬入開始 |
| 1944 |
米・日本の風船爆弾がハンフォードの生産パイルの電源ラインを一時止める |