1945. 1. 2
[昭和20年] |
米・ディヴィット・グリーングラス ソ連側連絡員ジュリアス・ローゼンバーグ(義兄)と接触
(休暇で帰ったニューヨークの自宅,爆薬レンズの略図と協力可能者リストを渡す,数日後別の男と会見) |
| 1945. 1.16 |
米・ハンフォードのプルトニウム分離工程開始 |
| 1945. 1.20 |
米・気体拡散プラント操業開始
(弱濃縮ウランをαカルトロンへ供給,イギリスの研究所でシール材としてテフロンが開発された) |
| 1945. 1.20 |
米・カーチス・ルメイ将軍 B-29部隊指揮官に任命
(日本爆撃,低空焼夷弾爆撃を提案,ハンセルの後任) |
| 1945. 1 |
米・ウラン235 の臨界量確認
[オットー・フリッシュ]
(ギロチン式の実験装置,リチャード・ファインマンは『ドラゴン実験』と命名,1945.2 には溶解事故発生,中性子被ばく者は死亡) |
| 1945. 1 |
米・爆縮用電気信管完成
[ルイス・アルヴァレ]
(マイクロ・セカンド以内で同時着火) |
| 1945. 2. 4 |
ヤルタ会談
[ルーズベルト大統領/チャーチル首相/スターリン首相]
(日本の無条件降伏,ソ連参戦の合意) |
| 1945. 2. 5 |
米・ハンフォードのプルトニウム239 ロスアラモスへ
(硝酸プルトニウム溶液) |
| 1945. 2. 7 |
米・爆薬レンズ完成
[ジョージ・キスチャコフスキー]
(爆薬を鋳型に鋳込む,成分 B+パラトール,爆薬自身の機械加工を望んだが鋳型を機械加工で作成) |
| 1945. 2 |
加・アラン・ナン・メイ ソ連側連絡員と接触再開 |
| 1945. 2.16 |
米・クラウス・フックス ソ連側連絡員に再会
(マサチュセッツ州・ケンブリッジの妹宅,連絡員は連絡先を伝えてあった,妹夫婦も共産党員,爆縮法や爆薬レンズの資料を渡す,中空コア情報,フックスは
1500ドルの現金受領を拒否) |
| 1945. 2.26 |
日・硫黄島守備隊玉砕 |
| 1945. 2.28 |
米・設計決定会議でプルトニウム爆弾だけを爆縮法で行うと取決める
[グローヴス/コナント/ベーテ/キスチャコフスキー/トールマン/オッペンハイマー]
(中実コア,電気式点火装置,イニシエーター,トリニティ実験の最終スケジュール決定) |
| 1945. 2 |
米・液体熱拡散プラント操業開始
(弱濃縮ウランをαカルトロンへ供給,6月以降は気体拡散プラントの濃縮度が改善されたため 液体熱拡散プラント → 気体拡散プラント
→ βカルトロンの流れとなる) |
| 1945. 2 |
米・アッシュワース中佐 グァムよりテニアンの選定を勧告
(原爆搭載 B-29 発進基地,グァムにスペースなし) |
| 1945. 2 |
米・原爆投下機は新型 B-29に変更と決定
(燃料噴射式エンジン,電動可変ピッチプロペラ) |
| 1945. 2 |
日・サイクロトロンでのウラン235 分離実験
(「二号研究」,失敗) |
| 1945. 3.10 |
米・東京大空襲
(B-29・334機,焼夷弾 1665トン,死者 10万人) |
| 1945. 3.30 |
米・カークパトリック大佐 テニアン基地を原爆搭載機発進基地に整備開始 |
| 1945. 3.15 |
米・独・オラニエンブルクの金属精錬工場空爆
(金属ウランの製造,ソ連の占領予定地区内,グローヴスが依頼,B-17 爆撃機 612機) |
| 1945. 3.16 |
ソ・イーゴリ・クルチャトフ スパイ資料を分析
(水素化ウラン・水素化プルトニウムコアのアイディア,水素化物は反応速度が遅く爆弾には適さないためロスアラモスでは 1944.8
には研究終了していたがカナダには伝わっていなかった,初めて爆縮の可能性を知る,ウランサンプルを要求) |
| 1945. 3 |
米・A計画スタート
[パーソンズ大佐/ラムゼー/アッシュワース中佐/ブラッドベリー中佐/バーチ中佐/アルヴァレ]
(実戦用爆弾の準備) |
| 1945. 3 |
独・B-8原子炉実験開始
[ウェルナー・ハイゼンベルグ/クルト・ディープナー/フォン・ワイゼッカー/ワルサー・ガーラック/エリック・バッジ/ハンス・ボーテ/フォン・ラウエ/カール・ウァーツ]
(ハイガーロッホ,円筒形重水炉,ウラン・マシーンと呼ばれる,グラファイトを中性子反射材に使用,制御棒なし,重水の量で制御,未臨界) |
| 1945. 3.30 |
米・カークパトリック大佐 テニアン基地を原爆搭載機発進基地に整備開始 |
| 1945. 4. 7 |
ソ・イーゴリ・クルチャトフ スパイ資料を分析
(プルトニウムの重要性,ウラン235とプルトニウム239の分裂断面積データー,爆薬レンズ) |
| 1945. 4.12 |
米・プルトニウム239 の臨界量確認
[オットー・フリッシュ]
(ドラゴン実験) |
| 1945. 4.12 |
米・ルーズベルト大統領急死( 63才)
(ハリー・トルーマン大統領就任,夕方スチムソン長官がマンハッタン計画を説明) |
| 1945. 4.12 |
米・B-29 理研を爆撃
(日本 4.13,「ニ号研究」の分離塔焼失,日本の原爆計画の終焉) |
| 1945. 4.17 |
米・米軍特種部隊(ALSOS) ドイツのウラン鉱石 1100トンを押収
[ジョン・ランズデール中佐]
(シュツットガルトの物置小屋,ソ連占領予定地区,樽が壊れていたため 1万枚の紙袋を用意,ウラン鉱石はマンハッタン計画に使用される) |
| 1945. 4.23 |
米・米軍特種部隊(ALSOS) ハイガーロッホへ進駐
[ボーリス・パッシュ/サミュエル・ハウトシュミット]
(重水型原子炉を発見,ハウトシュミットはハイゼンベルクの友人,両親をナチスのガス室で失っている) |
| 1945. 4.24 |
米・米軍特種部隊(ALSOS) ヘヒンゲンへ進駐
(ワイゼッカー/ウィルツ逮捕,翌日オットー・ハーン/ラウエ逮捕) |
| 1945. 4.25 |
米・トルーマン/スチムソン会談
(マンハッタン計画の詳細説明,スターリンからの通信受領直後) |
| 1945. 4.26 |
米・米軍特種部隊(ALSOS) 重水と 1トンの金属ウランを発見 |
| 1945. 4.27 |
米・第 1回標的委員会開催(ワシントン)
[グローヴス/ファレル/ノイマン/ウィリアム・ペニー/空軍代表]
(7月か 8月,有視界爆撃,B-29の射程は 2400Km以下) |
| 1945. 5. 1 |
独・アドルフ・ヒトラー 自殺 |
| 1945. 5. 2 |
ベルリン陥落 |
| 1945. 5. 3 |
米・米軍特種部隊(ALSOS) ウルフェルドへ進駐
(前日 8人でドイツ軍 1個師団の降伏を受ける,ハイゼンベルク逮捕,ハイゼンベルクは鞄を持って出迎え,ハイデルベルクからランスへ連行) |
| 1945. 5. 7 |
米・トリニティー実験の予備実験を実施
(100t のTNT火薬と微量の放射性物質を爆発,放射性降下物の拡散を調査) |
| 1945. 5. 8 |
ドイツ降伏 |
| 1945. 5. 9 |
米・暫定委員会開催
[ヘンリー・スチムソン/ジョージ・ハリソン/バーンズ/ブッシュ/コンプトン/オッペンハイマー/ローレンス/フェルミ]
(原爆の使用問題を検討,文官のみで構成,ソ連の開発期間 7年と予想) |
| 1945. 5.10 |
米・第 2回標的委員会開催
[オッペンハイマー/パーソンズ/トールマン/ラムゼー/ベーテ/ロバート・ブロード/ノイマン]
(ロスアラモス,原爆投下の技術上問題,無傷の都市を4つほど残す,京都/広島/横浜/小倉) |
| 1945. 5.25 |
米・九州進攻作戦発令
[マッカーサー/ニミッツ/アーノルド]
(オリンピック作戦,目標期日 11.1 と決定,関東上陸作戦はコロネット作戦,目標期日 3.1) |
| 1945. 5.28 |
米・ジョセフ・グルー国務次官 天皇制を保証すれば日本は降伏するであろうとトルーマン大統領に進言 |
| 1945. 5.28 |
米・シラード/バーンズ会談
(原爆投下反対は受け入れられず) |
| 1945. 5.28 |
米・第 3回標的委員会開催
(ポール・ティベッツ大佐参加,第 509混成部隊のキューバでのテスト結果報告,カーチス・ルメイの日本爆撃は 1946.1 には完了してしまうと表明,投下目標は京都/広島/新潟の
3都市) |
| 1945. 5.30 |
米・スチムソン長官 京都を原爆投下目標より外すようグローヴスに指示
(日本降伏後の占領政策を考慮) |
| 1945. 5.31 |
米・暫定委員会原爆投下を決定
[バーンズ/スチムソン/マーシャル/グローヴス/ハーベイ・バンディ/コナント/コンンプトン/ローレンス/フェルミ/オッペンハイマー]
(オッペンハイマーはトリニティ実験へのソ連の立ち会いを提案,日本への事前通告は行わない方針に決定,シラードについて言及される) |
| 1945. 5 |
米・ジョセフ・ロートブラッド ドイツ降伏により原爆開発は無用になったとロスアラモスを去る
(後のパグウォッシュ会議会長,1995 ノーベル賞授賞) |
| 1945. 5 |
ソ・ドイツのウラン 130トンを押収
(ノイシュタットグレーベ,ベルーギーよりの押収品,アメリカの 2週間後,酸化ウラン,ベルリン西部の皮なめし工場に染料として保管されていた,アメリカ占領地域との境界線上,その後カイザー・ウィルヘルム研究所を解体してモスクワに移送) |
| 1945. 6. 2 |
米・クラウス・フックス ソ連側連絡員に接触
(サンタフェ,「トリニティ」実験情報,爆薬成分,原爆の略図を含む多くの資料を渡す) |
| 1945. 6. 3 |
米・ディヴィッド・グリーングラス ソ連側連絡員に接触
(二次元爆薬レンズの略図,スパイ候補者のリストを渡す,500ドル受領,同一連絡員,2つのスパイ網の交差) |
| 1945. 6. 6 |
米・ヘンリー・スチムソン長官 暫定委員会結論をトルーマン大統領に報告 |
| 1945. 6.10 |
米・第 509混成部隊第 1陣テニアン到着
(新型 B-29,3機,全15機) |
| 1945. 6.11 |
米・フランク委員会報告をスチムソンに提出
[ジェームズ・フランク/レオ・シラード/ユージン・ラビノウィッチ]
(シカゴの科学者が原爆の無警告使用に反対,7名,示威実験の勧告) |
| 1945. 6.18 |
米・マーシャル将軍 九州進攻作戦の死傷者数は 6万3000と見積る
(最高作戦会議,オリンピック作戦の大枠決定,レーヒ提督の日記より) |
| 1945. 6.27 |
米・原爆の太平洋移送計画立案
[グローヴス/オッペンハイマー/パーソンズ] |
| 1945. 6 |
米・トリニティー実験用プルトニウム爆弾の組立開始 |
| 1945. 7. 2 |
ソ・イーゴリ・クルチャトフへスパイ資料を開示
(「トリニティ」実験,ベリリウムとポロニウムのイニシエーター,5Kgのプルトニウム,500ポンドのタンパー,アルミニウム殻,爆薬層,総重量
3トン,威力予想 5Kt,ウラン及びプルトニウムの備蓄量と生産量,7.10 前後に実験予定) |
| 1945. 7. 3 |
米・ニコルズ大佐 オッペンハイマーへ書簡
(7.24 までに大量のウラン235 を送付可能) |
| 1945. 7. 3 |
米・ウラン235 弾頭を鋳造 |
| 1945. 7.12 |
米・プルトニウムコア アラモゴード到着 |
| 1945. 7.13 |
米・爆薬集合体 アラモゴード到着 |
| 1945. 7.14 |
米・リトルボーイ本体をテニアンへ発送
(ターゲットピース以外,DC-3輸送機,サン・フランシスコへ) |
| 1945. 7.14 |
米・事前の予備爆縮実験失敗と判断
(不良品の爆薬を修理して使用,気泡に穴をあけ手作業で埋める) |
| 1945. 7.14 |
米・トリニティー実験用『ガジェット』完成
[ノーリス・ブラッドベリー]他
(ベリリウムとポロニウムのイニシェータ,プルトニウム・コアは『温かくて生きた兎のようだ』,ウラン・タンパーの最後のプラグが温度差のため組み付かない,小休止後
OKとなる,32箇所 64個の電気信管を取付ける,30mのショットタワー上) |
| 1945. 7.15 |
米・ハンス・ベーテ 予備実験装置の解析
(爆縮に成功しても観測されたオシロスコープ記録となると判定) |
| 1945. 7.16 |
米・トリニティー実験成功
(豪雨の天気予報が出ていたがポツダム会議に合せて実施,悪天候のため 1時間半延期,5時29分45秒,18.6Kt,観測機飛べず,実験成功後ポツダムのスチムソン長官に伝達
『けさ手術を実施』,ベルリン視察より戻ったトルーマン大統領/バーンズ長官に伝えられる,ポツダム宣言には天皇公約は含めない方針となる) |
| 1945. 7.16 |
米・巡洋艦インディアナポリス出航
(リトルボーイ本体輸送,トリニティー実験の 4時間後) |
| 1945. 7.17 |
米・シラードの請願
(大統領へ請願書,科学者の署名運動,70名,原爆投下に反対,8.1にグローブス少将を経てスチムソン長官に渡る,大統領に届いたかどうかは不明) |
| 1945. 7.20 |
米・アイゼンハワー将軍 日本に対し原爆投下は不必要とトルーマン大統領に進言 |
| 1945. 7.20 |
米・第 509混成部隊 パンプキン爆弾による日本爆撃開始
(10,000ポンド:5トン爆弾,8.14 の幕切れ攻撃でのトヨタ自動車爆撃まで 16地区・52機・49発,原爆投下後はビラ蒔きも実施) |
| 1945. 7.21 |
米・グローヴス将軍のトリニティー実験報告書ポツダム着
(トルーマン大統領の態度の変化の原因がわかったとチャーチル首相がスチムソン長官に語る) |
| 1945. 7.21 |
米・ハリソン長官 原爆投下目標に京都復活をスチムソン長官に要請 |
| 1945. 7.22 |
米・スチムソン長官 京都の代りに長崎の追加を指示 |
| 1945. 7.23 |
米・ハリソン長官 原爆投下は 8月1日以降なら可能とポツダムへ打電 |
| 1945. 7.23 |
米・第 2のプルトニウムコア完成 |
| 1945. 7.24 |
米・トルーマン大統領 ポツダム会談の席上新型爆弾の件をスターリン首相に伝達
(スターリン首相はスパイ情報により既に知っていたが語らず) |
| 1945. 7.24 |
米・ウラン235 弾頭のターゲットピースを鋳造
(3個のリングより構成) |
| 1945. 7.25 |
米・トルーマン大統領 原爆投下指令
(グローヴス将軍が案を作成,スチムソン長官等がポツダムで承認,戦略空軍司令官スパーツ将軍宛て,8月3日ごろ広島/小倉/新潟/長崎の内の1つに投下) |
| 1945. 7.26 |
米・巡洋艦インディアナポリス テニアン到着
(リトルボーイ本体陸揚げ) |
| 1945. 7.26 |
米・ウラン235 弾頭のターゲットピースをテニアンへ発送
(C-54 輸送機) |
| 1945. 7.26 |
米・プルトニウムコアとイニシエーターをテニアンへ発送
(C-54 輸送機) |
| 1945. 7.26 |
ポツダム宣言発表
(日本の無条件降伏を要求,日本 7.27 傍受) |
| 1945. 7.28 |
米・スマイス報告完成
[ヘンリー・スマイス] |
| 1945. 7.30 |
米・巡洋艦インディアナポリス沈没
(イ-58 潜水艦より 6本の魚雷攻撃を受ける,4日の差) |
| 1945. 7.30 |
米・グローヴス少将 オリンピック作戦までに 10〜12発の原爆準備が可能と報告 |
| 1945. 7.31 |
米・リトルボーイ組立完了
(台風接近のため天候回復を待つ) |
| 1945. 8. 2 |
米・ファットマンの部品テニアン到着,組立開始 |
| 1945. 8. 4 |
米・第 509混成部隊の B-29 乗組員ヘのブリーフィング実施
(パーソンズはトリニティ実験の記録映画を上映) |
| 1945. 8. 5 |
米・カーチス・ルメイ将軍 特務飛行は 8月6日と決定
(リトルボーイを B-29 に装着) |
| 1945. 8. 6 |
米・リトルボーイ広島投下
[ポール・ティベッツ/ロバート・ルイス/トーマス・フィアビー/ウィリアム・パーソンズ/モリス・ジェプソン]他
(8時16分45秒,12.5KT,60Kgのウラン235 ,総重量 4T ,4セットのレーダー高度計付き,『エノラ・ゲイ』はティベッツ機長の母親の名前,前日命名,離陸後パーソンズはコルダイトを装填,死者は
1945 末で 14万人,5年間で 20万人,死亡率 54%) |
| 1945. 8. 7 |
米・次投下目標は東京と進言
[ファレル准将/パーソンズ大佐/パーネル少将]
(心理的効果大,ワシントンからの回答なし) |
| 1945. 8. 7 |
米・原爆投下の大統領声明発表
(トルーマン大統領は巡洋艦オーガスタでポツダムより帰国中) |
| 1945. 8. 7 |
ソ・スターリン首相 ラヴレンチー・ベリヤを原爆計画の司令官に任命 |
| 1945. 8. 8 |
ソ・モロトフ外相 佐藤大使に戦線布告を通告
(日本はソ連の調停を期待,原爆投下がきっかけとなる,ドイツ降伏の 3か月後,ヤルタ会談で約束の期日) |
| 1945. 8. 8 |
米・ファットマン組立完了
(前夜ケーブルの逆結合が発見されバーナード・オキーフはハンダごてでコネクターの雄雌を交換,B-29に装着) |
| 1945. 8. 9 |
ソ・満州侵攻 |
| 1945. 8. 9 |
米・ファットマン長崎投下
[チャールズ・スウィーニー/フレデリック・アッシュワース/フィリップ・バーンズ]他
(曇りで小倉は見えず長崎に変更,長崎上空で 20秒間視界が得られた,11時2分,22KT,8Kgのプルトニウム239
,総重量 4.5T,『ボックス・カー』,ソ連参戦2時間後に離陸,目標から 3.4Km外れる,燃料ポンプに欠陥が発見されたが離陸,投下後沖縄へ着陸し給油後テニアンヘ帰着,死者は
1945末で 7万人,5年間で 14万人,死亡率 54%,1999.7 目視投下命令に反してレーダー投下されたことをアッシュワースが語る,小倉投下に失敗し原爆を海に捨てるよりはと決断) |
| 1945. 8. 9 |
日・深夜の御前会議にてポツダム宣言受諾決定 |
| 1945. 8.10 |
日・スイスとスウェーデンを通じてポツダム宣言受諾を申し入れ
(天皇問題を除く条件付き,バーンズ長官は拒否したが降伏条件を定義付けることでトルーマン大統領は了承) |
| 1945. 8.11 |
米・グローヴス将軍 2発目のファットマンについて報告
(プルトニウム・コアとイニシエーターは当初予定より4日短縮されて 8月12日/13日にテニアンへ輸送可能,8月17日/18日に投下可能,マーシャル将軍は輸送を見合わせるよう指示) |
| 1945. 8.12 |
日・ポツダム宣言受諾に関するバーンズ長官の返答を受領 |
| 1945. 8.12 |
米・『スマイス報告』公開
[ヘンリー・スマイス/リチャード・トールマン]
(原爆の秘密の限界を公表,爆縮方式に触れず,大統領の承諾後発表,1946 出版) |
| 1945. 8.14 |
日・皇居の防空壕での御前会議
(ポツダム宣言受諾決定,勅語の用意を指示) |
| 1945. 8.15 |
日・無条件降伏
(玉音放送 『絶え難きを絶え忍び難きを忍び』,第 2次世界大戦の終了) |
| 1945. 8.20 |
ソ・原子爆弾特別委員会を設置
[ラヴレンチー・ベリヤ/ゲオルギー・マレンコフ/ボーリス・ヴァンニコフ/ウヴラーミ・ザヴェニャーギン/ミハイル・ペルヴーヒン/ピョートル・カピッツァ/イーゴリ・クルチャトフ] |
| 1945. 9. 1 |
米・スマイス報告(ハードカバー版)出版
(グローヴスは原子炉のポイズニングに関する条項を削除,ソ連はその重要性に気付く) |
| 1945. 9. 2 |
日・降伏文書調印
(東京湾上の戦艦「ミズーリー」号上) |
| 1945. 9. 5 |
加・イーゴリ・グーセンコ 亡命
(ソ連大使館から 109通の通信文を持出し,当初マッケンジー・キング首相は受領を拒否,王立カナダ騎馬警官隊からの連絡でイギリス情報部が保護を依頼,9月末キング首相はトルーマン大統領と会見,1946.2
22名のスパイを逮捕) |
| 1945. 9.15 |
米・L・ノースタッド少佐 原子爆弾生産報告書をグローヴスへ提出
(ソ連を敵とした場合 204発の原爆が必要と算定) |
| 1945. 9.19 |
米・クラウス・フックス ソ連側連絡員に接触
(「トリニティ」実験等最新情報を渡す,プルトニウムの相変化,気体拡散プラント用フィルターは燒結したニッケル,フックスはイギリス使節団のパーティ用酒類買出し途中) |
| 1945. 9.28 |
米・科学顧問会議
[コンンプトン/ローレンス/フェルミ/オッペンハイマー]
(水爆開発には反対) |
| 1945. 9 |
米・ディヴィッド・グリーングラス ソ連側連絡員に接触
(イニシエーターの構造,中空複合コア情報) |
| 1945.10.16 |
米・ロバート・オッペンハイマー ロスアラモスを辞任
(ノリス・ブラッドベリー 所長に就任) |
| 1945.10.18 |
ソ・ファットマンの構造詳細報告をベリヤに提出
(マンロー効果利用の新型イニシェーターではない,プルトニウム半球は金箔ガスケットで接合) |
| 1945.11. 2 |
米・ロバート・オッペンハイマー 『ロスアラモスへのメッセージ』講演
(辞任講演,核時代への認識,人類がロスアラモスと広島の名を呪う時が来るだろう) |
| 1945.11.14 |
ボーア/テルレッキー会談
(コペンハーゲン,ソ連スパイ組織の接近,カピッツァの紹介状持参,ボーアはイギリス情報部と連絡を取りスマイス報告を渡しただけ) |
| 1945.11.15 |
トルーマン/アトリー/キング宣言
(新ケベック協定,原子エネルギーに関する基本的知識を保有する 3国が主導権を握る,国際連合に原子力委員会設置を勧告) |
| 1945.11.19 |
チェコ・ソ連よりウラン鉱石の提供要請
(米国国務省に電報,11.23 ソ連がチェコスロヴァキアのウラン鉱石の独占権を得る秘密協定締結,キューリー夫妻がラジオウムを発見した時のヨハヒムスザール鉱山) |
| 1945.11.24 |
米・日本のサイクロトロンを破壊
(理研: 2,阪大: 2,京大: 1,進駐軍内部の情報伝達ミス) |
| 1945.11 |
ソ・プルトニウム生産工場の立地調査
(チャリャビンスク 40,新しい町の名前はベリヤ) |
| 1945.12 |
米・ENIACによる水爆計算テスト実施
(1946.1まで 6週間のテストを行う,50万枚のパンチカード,1945.11 大砲の弾道計算用としてペンシルヴェニア大で完成,1945
始めにフォン・ノイマンが水爆計算用として着目,真空管 18,800本,140KW,30トン) |
| 1945.12.22 |
米・ドイツの核科学者をイギリスから西ドイツへ送還 |
| 1945.12.24 |
ソ・原爆開発開始をアメリカ大使へ公式に伝達 |
1946. 1.25
[昭和21年] |
ソ・原爆開発を協議
[スターリン/ベリヤ/モロトフ/クルチャトフ]
(カピッツァの独自開発案は却下,アメリカのやり方を真似る,クルチャトフに豪華な邸宅を用意) |
| 1946. 2.22 |
米・ジョージ・ケナン ソ連批判電報を国務省に送信
(モスクワ駐在アメリカ大使代理,軍事的優位の必要性) |
| 1946. 2 |
米・エドワード・テラー ロスアラモスを去る
(フェルミと共にシカゴ大へ,テラーは顧問として時々ロスアラモスへ) |
| 1946. 3. 4 |
英・アラン・ナン・メイを逮捕
(王立カナダ騎馬警官隊はアラン・ナン・メイを帰国させイギリス当局に連絡) |
| 1946. 3. 5 |
英・ウィンストン・チャーチル 『鉄のカーテン』演説
(ミズーリ州フルトンのウエストミンスター大学,原爆による戦争抑止効果,冷戦の開始) |
| 1946. 3.17 |
米・アチソン/リリエンタール報告
[ロバート・オッペンハイマー]他
(核の国際管理の提案) |
| 1946. 4. 2 |
ソ・ユーリー・ハリトン 爆弾開発研究所用地を視察
(モスクワ東方 400Kmのサロフ,第 11設計支所開設,アルザマス 16,ソ連のロスアラモス) |
| 1946. 4.18 |
米・スーパーに関する会議開催
[エドワード・テラー/エミール・コノピンスキー/ジョン・マンリー/フィリップ・モリソン/フォン・ノイマン/スタニスロウ・ウーラム/ノーリス・ブラッドベリー/カーソン・マーク/クラウス・フックス]
(ロスアラモス,『クラシカル・スーパー』,円筒形容器の一端に原爆を配置,容器内に重水素と三重水素の混合物を入れる,原爆の火球で加熱し誘発する,ベリリウムタンパー,放射線による水素燃料の圧縮,ロバート・サーバーはスーパー開発に反対した) |
| 1946. 6.14 |
米・国連原子力委員会でバルーク案を提出
[バーナード・バルーク]
(核の国際管理の提案,拒否権の停止を要求,ソ連は逆に原爆の製造・使用の禁止を提案) |
| 1946. 6.14 |
米・クラウス・フックス ロスアラモスを去る
(原爆の最新情報はイギリス帰還後に流したと供述しているが,サンタフェで別の連絡員に渡した可能性も残る,6.28 モントリオールから英国空軍の爆撃機で帰還) |
| 1946. 6 |
米・核兵器のストックはファットマン 9発
(イニシエーター数より 7発のみ使用可,プルトニウム生産がネック) |
| 1946. 6 |
加・原爆スパイ事件を公表 |
| 1946. 7. 1 |
米・核実験実施
(ビキニ環礁,「クロスロード」作戦,2発,B-29より投下したが目標より 500mずれ標的艦は沈没せず,ポール・ティベツは事前に爆撃照準器をチェックし計算違いを発見したが聞き入れられなかった,1946.7.25
水面下爆発,実験後戦艦長門他 21隻被沈没,戦艦長門は開戦当時の連合艦隊旗艦で『ニイタカヤマノボレ』を発信,アメリカの核軍縮案放棄の印象,核爆発の遠距離探知法の確認,3回目の実験をグローヴスの提案で中止,ベリヤは
2名のオブザーバーを派遣) |
| 1946. 7 |
ソ・原子炉の組立開始
[イーゴリ・クルチャトフ/イーゴリ・パナシューク]
(第二研究室,黒鉛生産の遅れ,ウラン精製用カルシューム純度に問題) |
| 1946. 8. 1 |
米・マクマホン法(原子力法)制定
(原子力の国内管理,原子力開発を政府の直事業とし,文民管理とする,軍事連絡委員会を設け軍の影響力は残る) |
| 1946.12.25 |
ソ・原子炉( F-1・出力 100W)運転開始
(黒鉛 400トン,ドイツから押収したウランを 50トン使用,ハンフォード 305試験炉と構造が酷似) |
| 1946 |
墺・熱核爆弾論文発表
[ハンス・ティリング] |
| 1946 |
米・エドワード・テラー 『目覚まし時計』を提案
(同心の核融合物質殻を組込んだ爆縮装置,放射による冷却問題があるが未解決) |
| 1946 |
ソ・『軽い元素の核エネルギーの利用』論文
[イサーイ・グレーヴィチ/ヤコフ・ゼリドーヴィッチ/イサーク・ポメランチェク/ユーリー・ハリトン]
(アメリカのスパイ資料より,フックス案の爆縮起爆装置,熱核研究の開始) |