◆1950年
7月 マッカーサー元帥が警察予備隊の創設、海上保安庁の増員を指令。後の自衛隊に。吉田首相への書簡で゛「法の違反や平和と公安を乱す不法な少数者に乗じられるすきを与えないよう、民主主義社会で公安維持に必要とされる限度で警察力を増大強化すべき段階に達した」
◆1954年
7月 防衛庁を設置、陸海空自衛隊が発足。木村篤太郎初代防衛庁長官は「独立国である以上、実力を持つのは当然。自衛隊は国土防衛のためのものだから、法律を改正しない限り海外に出ることはない」
◆1965年
2月 防衛庁の「制服組」が、朝鮮有事を想定して作戦準備などの問題点を検討した「三矢研究」が国会で問題に。「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、中国を仮想敵国と断定している。自衛隊の政治への介入だ」(社会党の岡田春夫代議士の質問)
◆1970年
11月 作家・三島由紀夫が東京・市ケ谷の陸自東部方面総監部で自殺。「憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない」(三島の「檄(げき)」から)
◆1973年
9月 自衛隊のミサイル基地設置のための保安林,指定解除をめぐる長沼ナイキ基地訴訟で、札幌地裁が自衛隊に違憲判決。「自衛隊は、規模、装備、能力からみて憲法9条2項にいう陸海空軍に該当する」(判決骨子から)
◆1976年
10月 「防衛計画の大綱」を決定。陸自の定数を18万人とするなど、緊張緩和で「平和時の防衛カの限界」を示す。「今後の整備は防衛力の量的増大ではなく、質の維持向上を主体とすべきではないか」 (防衛庁長官の談話)
◆1978年
7月 栗栖弘臣・統合幕僚会議議長が週刊誌のインタビューで「超法規発言」。「首相が命令しない限りどんな緊急事態でも自衛隊は行動できないのか」との質問に、「やむにやまれず、部隊幹部の独断専行というか超法規的にというか、行動をとることになるでしよう」。問題となり更迭。
◆1983年
1月・中曽根康弘首相が米国訪問の際に、「不沈空母」発言。「日本列島は(ソ連の)爆爆撃機進入に対する防波堤となる不沈空母のような存在であるべきだ」
◆1991年
4月 湾岸戦争の後、機雷除去のため海自の掃海艇などがペルシャ湾へ。「わが国船舶の航行の安全を確保するためであり、武力行使の目的ではなく、憲法の禁止する海外派兵に当たらない」(閣議決定から)
◆1992年
9月 自衛隊PKO派遣隊カンボジアへ。「『武器の使用』が、すべて憲法の禁止する『武力の行使』に当たるとはいえない」(衆院特別委の政府答弁)
◆1995年
11月 新しい「防衛計画の大綱」を策定。陸自は16万人定員に減員。「大規模災害など各種事態への対応や、より安定した安全保障環境の構築への貢献に積極的に取り組んでいく」(防衛庁長官談話)
◆1997年
9月 新ガイドラインを決定。日本周辺での有事の際の日米協力を定める。「日本周辺地域で発生しうる事態で、日本の平和と安全に重要な影響を与える場合における日米間の協力に関する研究を始め、政策調整を促進する必要性で一致した」(日米安全保障協議委員会の報告)